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黒田博樹選手、オヤジの入り口で、カッコいい復帰

黒田博樹選手、オヤジの入り口で、カッコいい復帰

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【黒田博樹選手、オヤジの入り口で、カッコいい復帰】

田博樹選手。2月10日の誕生日で40歳になります。

米大リーグ、ドジャースで4年間、ヤンキースで3年間、

先発投手として活躍してきました。

まだまだメジャーで通用するどころか、

来シーズンも大型契約をオファーする球団がありました。

推定オファー額、1800万ドルといいますから、20億円以上です。



こんな申し出を蹴って、黒田選手、8年ぶりとなる広島への復帰を決意しました。



黒田選手はこう語っています。

「野球人として、沢山の時間を熟考に使いました。

 悩み抜いた末、野球人生の最後の決断として、

 プロ野球人生をスタートさせたカープで、

 もう一度プレーさせていただくことを決めました」


ラブコールを送り続けてきた鈴木球団本部長ですら、

「嬉しいを通り越して、怖い感じ」と述べています。


昨年、広島はいい戦いを繰り広げましたし、カープ女子の出現など、

「熱い!」感じが伝わって来ます。

黒田投手の加入でさらに、広島は湧き上がることでしょう。

さて、黒田投手の話に戻ります。

黒田選手も、決して恵まれた位置から野球人生がスタートしたわけではありません。

高校時代は、三番手投手で、公式戦での登板機会はほとんど無いような選手でした。

たまに練習試合に、投げれば打たれる日々。

グラウンドの草むしりを命じられたり、ただひたすら走り込みを命じられたり、

とても選ばれた野球選手ではなかったのです。

頭角を現すようになったのは、専修大学へ進んでからでした。



高校時代の走り込みが黒田投手の土台を作り、

安定した制球力と速球(当時の最速150キロ)という強みに結実したのです。

身を結ぶまで時間のかかった、やや遅咲きの実力派投手です。



話をグーッと飛ばして、2012年、ドジャースからヤンキースに移籍した時のことです。



シーズン序盤は、なかなか勝てず、ファンからもメディアからも、

辛辣な言葉を浴びせられる日々が続きます。



アメリカのファンは、ナイスプレーには、惜しみない拍手を送りますが、

その逆にNGのプレーヤーに対しては、容赦ないブーイングが飛びます。

特にニューヨークのファンはその度合いも強いようです。



胸ふくらませた新天地で、思わぬ冷や水を浴び、

黒田投手はすっかり滅入ってました。



そんな時、メンタルトレーナーから、あるアドバイスをもらいました。

NBAのスター選手だったマイケル・ジョーダンの言葉です。

その言葉が決め手だったのかどうか、黒田投手、

そこから尻あがりに調子を上げて、16勝をマークしました。

その言葉とは>>>

広島には、サムライを育てる土壌があるのでしょうか

ンタルトレーナーが黒田投手に与えた言葉です。


常にこれが最後のゲームだと思ってプレーすることだ


マイケル・ジョーダンの言葉でした。



黒田投手は、複数年契約のオファーに対して、単年度契約で臨み続けてきました。

その契約の仕方も「これが最後」との決意を物語っているのかもしれません。

確かにこのようなことを語っています。

「複数年契約はありがたいけれど、それで自分の辞め時を見失いたくない。

 限界を感じたらいつでもユニフォームを脱げるように」



さらに広島への復帰を決意した時、

日本へ帰るなら、広島以外には考えられない」と公言しました。



おっちゃんが、広島の人、カープおやじだったら、泣きますね。



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