Facebookページ初心者への入門ガイドマップ。フェイスブックのアカウントを利用してまずFacebook pageを開設しましょう。集客やプロモーションに有効です。

栄光の長野五輪、団体ジャンプ金メダル、縁の下の力持ちは…

栄光の長野五輪、団体ジャンプ金メダル、縁の下の力持ちは…

画像の説明

【栄光の長野五輪、団体ジャンプ金メダル、縁の下の力持ちは…】

1998年、長野五輪、スキージャンプ大会で、

日本チームは金メダルを獲得しました。



感動的な場面でした。



当時「世界最強」と謳われ、あまりの強さに、

その後ルールが変更されたとも言われる日本チームでした。

競技当日は、ひどい悪天候でしたが、

それが思わぬドラマを生むことになったのでした。



競技途中から吹雪のようになり、3番手の原田雅彦がまさかの失速。

日本チームは、1本目の競技を終えた時点で4位となり、

そのまま競技は中断されました。



もし、このまま中止になれば、メダルすら逃してしまう。



こんな状況に代表選手以外の、縁の下の力持ちが奮い立ちます>>>

俺たちが飛べなければ、競技が中止になる

い立ったのは、25人のテストジャンパー達です。

競技の安全な運営を判断するために、「試し飛び」をするジャンパー達でした。

開催国の日本から、代表になれなかった25人の選手たちが指名されたのでした。


その中には、リレハンメル五輪で金メダルを逃し、

今回代表から漏れた西方仁也もいました。



「俺たちが飛べなければ、競技は中止になってしまう。どんなことがあっても飛ぶ。

 そして2本目をスタートさせるんだ」

視界もままならない悪天候の中、テストジャンパー達は決死の飛行を試みました。



「転倒するな」

「(次々に飛んで)助走路の溝を守れ」

「距離を伸ばせ」


これらが合言葉でした。

最後のテストジャンパーとなった西方は、K点越えの大ジャンプ。

これなら大丈夫だろうと、競技再開の判断が下されました。



2本目、原田の飛距離は137メートル。

着地の衝撃で、板にひびが入るほどの大ジャンプでした



その日、原田が着ていたアンダーウェアは、西方からの借り物でした。

西方の魂をオリンピックに持ち込むために、彼から譲り受けたものだといいます。



降りしきる雪の中で、原田を胴上げしていたのは、ともに戦った岡部、斎藤、船木。



そして、誇り高い25人のテストジャンパー達でした



感動シリーズ


いいねfacebook


powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional