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錦織圭選手、おめでとう今季初勝利!

錦織圭選手、おめでとう今季初勝利!

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【錦織圭選手、おめでとう今季初勝利!】

織圭選手がやりましたね。今季初勝利です。

メンフィス・オープンでの優勝は、過去3連覇の偉業とのことです。

メンフィスと言えば、メンフィス・テネシー……プレスリー縁の地ですね。

ギター型のトロフィーを抱きました。

錦織圭選手がテニスと出会ったのは5歳の時でした。

父親の買ってくれたラケットがキッカケでした。



小学校の時の卒業文集には「日本一 次はその上 世界一
と書かれています。



錦織選手がつらい時、いつも心の支えにしている相田みつを氏の言葉があります。

ある時、その言葉に出会い、こう語っています。

『一生燃焼』と相田みつをさんの字で書かれていて、

 凄い深い意味が込められてて、感動しました。」

その言葉には、その後の錦織選手が、相田みつお氏の言葉をまねて、

自分で詩を書くほどに感銘を受けたそうです。



そしてこの時、生涯を賭けて燃焼させるものをテニスと決めたのだといいます。



錦織選手は13歳で両親の心配をよそに単身渡米します。



しかし、ひとりぼっちの夢への挑戦は思いのほか厳しいものでした。

「外人の人は背が大きいし、それだけでも威圧されるんですけど、

 言葉が通じないってのもあるし、そこでイタズラをされたり・・・。

 訳も分からなく怒られたり・・・。っていうのはありましたね。」



中学2年生の頃ですが、錦織選手のメンタルの強さは

こういう環境で鍛えられていきました。



両親には迷惑をかけられない。自分で決めたことに弱音は吐けない。

年に数回実家で過ごすときも、錦織選手は決して辛いそぶりを見せることはなかったそうです。

1日8時間。自分の体と精神をいじめ抜く日々。

そしてアメリカに渡っておよそ3年。

2006年6月の全仏オープンジュニアにおいて、その努力が身を結びます。

ダブルスでの優勝です。この時16歳です。

そしてこれは日本人男子初の快挙となりました。



2007年にプロに転向した錦織選手。

その席で最初に口にした言葉はこれでした。

一番は親の温かい励ましです



そして2008年2月。 ATPツアー、日本人男子16年ぶりの優勝を果たしました。

世界と戦える日本人の出現に日本中が湧きました。



しかし、その後すぐに錦織選手に訪れたのが、大きいスランプでした。



「次も勝たなくては・・・。」というプレッシャー。

その重圧が焦りを生み、ミスを繰り返してしまうのです。

さらに腹筋の肉離れなど、肉体的にも精神的にも追い込まれていました。

18歳の少年に負わされた重圧と苦しい現実。

錦織選手は初めて両親にその想いをメールでぶちまけました。



「テニスをするのが・・・辛い。」



このメールを受け取ったお母さんは、

錦織選手に、ある言葉を返しました。

その言葉は、錦織選手の人生最大のスランプから

立ち直るキッカケを与えてくれた言葉でした>>>

それは過去の自分が未来の自分に送った言葉

母さんの返信メールです。


いつでもラッキーが来る!そう思え

実はこの言葉、錦織選手にとってはとても思い出深い言葉だったのです。


冒頭述べたように、錦織選手は書家の相田みつをさんが大好きで、

相田みつをさんの詩を小学生時代よく真似して書いていました。



それは親にも内緒で自分で書いていて、

実はお母さんが送ってくれたこの言葉。

小学生の頃、錦織選手が自分に宛てて書いた言葉でした。

でも当時は、恥ずかしくなって、書いてすぐゴミ箱に捨てていたのです。



それをお母さんはそっと拾い、10年間近く、

ずっと大切に取っておいてくれたのでした。



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