Facebookページ初心者への入門ガイドマップ。フェイスブックのアカウントを利用してまずFacebook pageを開設しましょう。集客やプロモーションに有効です。

村長が大使に見せたかったもの、それはこれでした

村長が大使に見せたかったもの、それはこれでした

セネガル
【村長が大使に見せたかったもの、それはこれでした】


ODA(政府開発援助)と言えば、恵まれない他国に対する援助として、一見耳触りはいい感じです。

しかし、実態は「ひもつき」援助として、日本の企業が開発事業に従事し、結局、該当の国の豊かさにはつながらないケースが多い(多かった)ようです。

だから大切なお金を投資しても、現地からの感謝や尊敬はあまりいただけなかったようです。

このケースは、同じODAでも、本当に生きたお金の使い方ではないかと思います。

1996年、当時のセネガル大使のもとに手紙が届けられました。

それは、9年前に深井戸を掘って、給水施設を無償援助した、ある小さい村の村長からの手紙でした。

給水施設ができる前のその村には、当時井戸がひとつしかありませんでした。

貯めておいた雨水がなくなると、男たちは水を求めて長い旅に出ます。

女たちは、ひとつしかない浅い井戸をたよりに生活していきます。

その井戸も、1970年代に枯渇。

彼女たちは、8km離れた隣村まで水をもらいに行きますが、そこの水が汚れていたため、多くの子どもたちが病気にかかってしまいました。



1983年、そこに日本の技術者が村を訪れます。

そして地下130mの深井戸が掘られ、3か所の共同水汲み場と4か所の家畜用水飼い場も設置されました。

村民はもちろん、家畜にもたっぷりと水を与えられるようになったのです。

それは、村民にとって、まさに夢のような出来事だったといいます。



セネガル大使への手紙は、その村の村長からのものでした。

大使は、その手紙での招待を受けて、村を訪ねました。

大使が実際にその村を訪ねてみると、もっと夢のような状況が広がっていたのです。

村が息を吹き返した。それこそ嬉しい光景

セネガルの井戸

使が目にした村の光景はこうでした。


共同水汲み場の蛇口は、子供たちが水を無駄遣いしないよう、夜間になると水道管理人がしっかりと鍵をかけて閉鎖。

さらに村民たちが水道の使用料を出し合い、集まったお金をポンプ保守技師の給与や部品の調達、燃料費などに利用していました。

さらにストックされたお金が大きくなると、パイプの延長工事を行い、学校や保健所に水を引き、さらに野菜畑や果樹園にも延ばし、収穫量を増やしていきました。

若者たちの仕事も増え、さらに貯水池を作って魚の養殖をしようという計画まであるというのです。

ずっと放牧生活を続け、自然の成り行きに身を任せていた村民たち。

しかし、井戸ができてから、自らの生活を向上させようと知恵を出し合い、努力をするようになりました。


そう、村長が大使に見せたかったもの。

それは井戸から溢れ続ける水でもなければ、喜んでいる村民の姿でもありません。

自分たちの努力の成果を、お世話になった人に見てもらいたかったのです。



参考本:ちょっといい話
著者:佐藤光浩
出版:アルファポリス文庫



感動シリーズ


いいねfacebook


powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional